Yukio Diary -金澤幸緒のブログ

タイタンキャピタル株式会社 金澤幸緒のブログ

ワインのお話 -パリスの審判


金澤幸雄です。

 

無名のカリフォルニアワインが、フランスの錚々たるグランヴァンを打ち負かした。

 

ワインを学んでいく中で避けては通れないこのニュースは、1976年に世界中のワイン愛好家やインポーター、ソムリエ、フードジャーナリストなど、すべてのワイン関係者に大きな衝撃を与えました。そして、トロイアの王子パリスが3人の女神の中でもっとも美しい者を決めさせられることになり、これが後のトロイア戦争の発端となった、という、ルーベンスの絵画でも有名なギリシャ神話になぞらえて「パリスの審判(The Judgment of Paris)」と呼ばれるようになりました。

 

今回は、4000年以上と言われるワインの歴史を変えた、パリスの審判の背景を解説します。

 

1941年、イギリスの貴族階級に生まれたスティーヴン・スパリュアは、ロンドンのワインショップを転々としてワインの知識を身に着けた後、1970年、29歳でパリの小さなワインショップ「カーヴ・ド・ラ・マドレーヌ」を買い取り、その後、高級ワインを中心に販売する自身の店としてオープンさせました。

英語で接客を受けられ、なおかつ試飲もできるワインショップは当時のパリでは珍しく、カーヴ・ド・ラ・マドレーヌは近隣に住む多くのワインを愛するアメリカ人やイギリス人をはじめ、多くの客で毎日大変な賑わいを見せていました。

そんな中、カーヴ・ド・ラ・マドレーヌの隣の物件が空き家となります。すでに常連客に向けて、店内でワインのセミナーのようなものを開いていたスパリュアは、その物件を買い取って、世界初の一般人向け本格ワインスクール「アカデミー・デュ・ヴァン(Académie du Vin)」を開校します。このときスパリュアは31歳。カーヴ・ド・ラ・マドレーヌを始めてから2年後のことでした。

 

こうして始まったアカデミー・デュ・ヴァンは、英語でワインが学べる唯一のワインスクールということで、多くの外国人(パリに住むアメリカ人やイギリス人)が通っていました。やがてその噂はフランス人たちにも広まり、英語の授業のほかにフランス語での授業もスタートさせることとなりました。

そして、この評判を聞きつけたアメリカ・カリフォルニアのワイナリーの関係者がカーヴ・ド・ラ・マドレーヌを訪れるようになります。彼らが持ち込んだカリフォルニアワインを飲んだスパリュアは、カリフォルニアワインが持つポテンシャルに驚き、カリフォルニアワインの魅力をもっと良く知りたいと思うようになっていったのです。

 

Photo by Tyke Jones on Unsplash